愚痴・憎まれ口・無駄口・世迷言・独断と偏見・屁理屈・その他言いたい放題



その4.≪純邦楽は、グローバルたり得るのか



「みんなの談話室」で、舞踊音楽の事が話題になっています。僕も
日頃思っている事を、書き込みしようと思ったんですが、長くなりそ
うなのでこちらに書く事にしました。読まれた方は、「談話室」のほ
うに感想をお願いします。                  


り前の事ですが、僕は古典舞踊が好きだからこそ、この世界に入っ
た訳で、僕の門弟達も、大半は古典舞踊がやりたい人達です。なかに
は、ボケ防止とリハビリの為にやってる人や、民踊などに飽き足らな
くて入って来た人もいますから、そう言う人達は必ずしも古典でなく
てもいい訳ですが、歌謡舞踊を上手く踊る為にも、古典の基礎が必要
な事は解ってくれています。                 


て、古典と言えば当然、長唄・常磐津・清元などで踊る訳ですが、
悲しいかな、これらの区別がつかない人が結構いるのです。キャリア
も長く、踊りも上手に踊れる人でも、聞き分けられない人がいます。
聞き分けられる人でも、「どこが違うの?それぞれの特徴は?」と尋
ねると、なかなかハッキリとは答えられません。それでもまだ、歌詞
が聞き取れる人はイイんですが、外国人に教えるように、一々説明し
なければ理解できない人や、「ここに三味線が、トテチンと入ってる
でしょう?」とか「ここに鼓が、ポンと入ってるでしょう?」と言っ
ても、聞き取れない人もいます。               


うしてこんな事になってしまったのか・・・、理由は色々と考えら
れるでしょう。教育制度の問題もあるでしょうし、生活様式の急激な
欧米化などが、おもな原因である事は大体理解出来ますが、つまりは
日常生活から、純邦楽があまりにもかけ離れてしまったからだと思う
のです。他のページで、「若い人達には、長唄や清元がお経のように
しか聞こえない・・・」と書きましたが、これは決して誇張ではあり
ません。「お経」がアンマリなら、「アジアの国々の民族音楽」と同
じようにしか聞こえないとでも、言っておきましょう。メロディも聴
き慣れないし、歌詞もとても日本語とは思えないらしいです。疑うな
ら街に出て、実際にアンケートを取ってみたらいいのです。   


近、長唄や鳴物の中堅・若手の方達が、相次いで新グループを結成
して、長唄の普及の為に頑張っておられるようですが、僕は決して楽
観的には考えていません。「偽古典」的な手法で、いくら新作を創っ
てみても、初めて聴く人達にとっては300年前に出来た曲と同じに
しか聞こえないのですから・・・。大変悲観的なことを言って申し訳
ないのですが、僕は純邦楽どころか、演歌さえなくなった時の事を考
えて、日本舞踊を何とか残していくための新しい音楽探しを、すでに
始めています。                       


だか、随分ヒドイことを書いてしまいましたが、ホントは僕は純邦
楽が大好きなのです。大好きだからこそ、心配でたまらないのです。
現在僕が進めている創作舞踊運動には、日本の楽器を中心にした曲を
たくさん使用していますが、それらは、琴・尺八・琵琶・太鼓などで
あって、残念ながら三味線はまだ使っていません。先に述べた楽器は
オーケストラやシンセサイザーと一緒に演奏しても、まったく違和感
が無いのですが、少なくとも僕の耳には、三味線の音は次元の違う世
界の音に聴こえるのです。                  


味線が他の楽器と決定的に違う所は、もともと南方の土俗的な素朴
な楽器だったものが、江戸300年の泰平文化という、特殊な環境の
中でのみ発達してきた為に、その音色に時代を超えた普遍性が感じに
くい事と、唄や浄瑠璃を抜きにしては考えられないという2点です。
そうです!三味線は残ったとしても、唄や浄瑠璃はどうなるんでしょ
う?あの伊郎さんや志寿太夫さんの至芸が、50年後にも手軽に聴
けるのでしょうか?あの素晴らしさが解る人が、50年後に何人いる
でしょうか?アア、それ以前に、日本舞踊そのものが、50年後には
どうなってるんでしょうか・・・。どっちにしても、多分僕はもう生
きてはいませんけど・・・。                 




「僕の独り言」TOPへ


前ページへ  次ページへ